ねじを巻こう

吃音・休学予定・将来が不安だけどなんとか生きてる大学生

外が寒かった

今日は大学新聞の仕事をしていて午前1時前に帰った。

外が0度くらいでとても寒かったが、一仕事終えた安心感で心はまだ暖かかった。電車の中で英語版スプートニクの恋人』が読めたくらいに気分がよかった。(気分がよくないと勉強のような疲れることはできないものだ)

心が冷えた時というのは本当につらいものだ。今はあまりその辛さを思い出さない。それだけでもまだ幸せだ。

吃音が悪化している

吃音が悪化していて困る。

特にここ2ヶ月はひどい。出席の「はい」すらまともに言えない。ほぼ全音どもる。

原因はよくわからない。10月に就活ができないことで不安が高まったせいだろうか。

最近は吃音をなんとかするために劇団のレッスンに行っているが、まだ効果は出ない。

授業などで発言せねばならない時など憂鬱でならない。

なんとかやるべきことはやっている。村上春樹風に言えばねじを巻いている。ねじを巻くことが自分を支えてくれる。

僕のねじ巻きは、大学の授業に出て課題をすること、大学新聞の仕事をすること、英語とプログラミングの勉強、合気道、走る泳ぐ、劇団のレッスン、そんなところだ。

どれもちょっとめんどくさいけど、基本的には楽しい。今日もねじを巻く。ギリギリギリ。

コミュ障ここに極まれり

自分はコミュ障だ。特に大学生になってコミュ障を自覚した。中高までは男子校という同質的な空間にいたからのんびりやれたのだが、大学に出て行き詰まった。

 

思いっきり依存的になるか、ひたすら距離を置くかのどちらかしかできない。相手との適切な距離を測れない。

 

不安なのは恋愛だ。恋愛はコミュニケーションだ。コミュニケーションが下手な自分は一生恋愛ができないかもしれない。

 

大学1年の時から片思いしている人がいる。物静かだが明るく、美しいお嬢さんだ。1年の時は仲良くやれたが、彼女に彼氏がいることを知ってどうすればいいかわからなくなり、告白して、一方的に一層の親しさを求め、そして距離を置かれてもう2年だ。

 

世間で入るのが難しいとされる大学に入った当時は、万能感に満ち溢れていた。が、コミュニケーション能力が欠落した自分は、さほどの仕事はできないと、今ではよくわかる。

 

今一番の希望は、その彼女と親しくなることだ。他には、プログラミングを勉強してIT関係のバイトを見つけるとか、合気道と芝居を上達させるとかあるけど、でも一番はあの娘と親しくなることだ。

でももう彼女は口も聞いてくれない。僕はただ虚しく彼女のFBを見るだけだ。毎日20回くらい彼女のページを見る。彼女は月に2度くらいしかFBを更新しないし、そもそも更新されるとお知らせが来るようにしているからそんなに見る必要はないのだけれど、見てしまう。そして、かつての彼女と話せていたころを思い出す。美しい笑顔だったな。あの笑顔をもう一度僕に向けてくれたらなって。